帰国(9年前の話です)

帰国(9年前の話です)

 

前回の記事の続き。

 

そうしてハンガリー留学の1年間を無事に終えた僕は、日本に帰ってきました。

2年目もハンガリーに戻って勉強することを考えていた僕は、7月、8月の2ヶ月の休みの間にコンクールに出ることが決まっていました。

 

一つはジャパングランプリ、一つは全日本バレエコンクールです。

 

 

ジャパングランプリに関してはハンガリーという留学先がある以上スカラシップが欲しかったわけではありませんが、年々レベルの上がっている大きなコンクールでしたし、自分にとって出場はプラスになると思いました。

 

ただ結果は予選通過止まり、入賞には至りませんでした。

1年ぶりのコンクールということでかたくなっていたのか、海外帰りということで勝手にプレッシャーを感じていたのかは分かりませんが思ったような踊りができず、悔しい思いをしました。

 

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続いて出場したのが全日本バレエコンクール。

15歳の時から出始めて、18歳当時で4度目の出場でした。

このコンクールは全5日間かけて行われる、国内コンクールとしては最も長丁場のコンクールの一つです。

 

まず1次審査に3日間かかります。

初日が、当日組まれるパを半日かかって自分で練習し(指導者接触禁止)、夜に舞台上で一人づつ審査されるアンシェヌマン審査

二日目が、クラシックバリエーション。課題曲から一つ選んで踊ります。

三日目が、創作バリエーション審査。一番若い部門は免除でしたが、それ以上の部門はクラシックではないモダンやコンテなど別のテイストのバリエーションを審査されます。

 

ここまでが予選です。そしてこれを通過した人たちが準決勝に進みます。

準決勝はクラシックバリエーション1曲です。予選のものとは別の課題曲を選んで踊ります。当時は課題曲からなんでも選んで良かったんですが、最近はレ・シルフィードのバリエーション統一だったり、どんどん難しくなってきていますね。

 

そしてこれを勝ち抜いた人たちが決勝です。

決勝はクラシックバリエーションの、予選か準決勝で踊ったどちらか。そして創作バリエーションの2曲で審査されます。最終日5日目にして1日のうちに2つバリエーション、最後までハードです。

 

そんな全日本、毎回嬉しいことに決勝までは進めたんですが、入賞はできませんでした。日本最難関のコンクールの一つですから、もちろん簡単なことではありません。

 

4年目にして、全日本バレエコンクール初入賞、しかも1位。

これは本当に嬉しかったですね。年齢的にジュニアギリギリ、部門の中で一番上の年齢だったので、逆に言えば最後のチャンスくらいの気持ちで臨みましたが、やっぱり信じられない気持ちの方が大きかったです。

 

全日本は本当に思い入れのあるコンクールです。やっぱりここで知り合ったダンサーとは、今でも交流の続いている人が多いですし、このコンクールで得たインスピレーションはとても大きく、毎回このコンクールを終えるころには、始まる頃より上手くなっている?とさえ感じるほど実りが多かったように思います。

 

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そうして留学の成果も感じられ、ジャパングランプリでの悔しさ、全日本での嬉しさと両方を胸に刻み込んで、気持ちも新たに再びハンガリーへ!

 

と思っていたんですが、結局2年目の留学は行かないことになりました。

 

1年目はフルスカラシップで、2年目は学費4分の3免除のスカラシップをいただいていましたし、普通に戻る気満々だったので荷物も置きっぱなしでした。

 

しかし、9年も前のことなのではっきりとは覚えていませんが、将来のことを先生とよく話し合って、「このままハンガリーに戻って向こうで就活(オーディション)するのか、しないのか」「日本でじっくり練習してコンクールを足掛かりに就職する」「日本での学歴のこと(たくさん勉強して入った進学校を休学していましたが、このままでは退学せざるを得ませんでした)」などを色々考えた結果、ハンガリーに戻らず日本に残って、高校に復学して卒業し、そして改めて海外への切符を掴むことを自分で決断しました。

 

 

この決断がベストだったのかは今でもよく分かりませんが、これが僕の人生で最も大きなターニングポイントの一つだったのは間違い無く、この決断をしていなかったら、僕は今頃全く違う人生を送っていたと思います。そう思うと、この選択は間違いではなく、いくつかある「正解」のうちの一つだったと言えますね。

 

 

コンクールが終わったのが8月、ハンガリーの新学期は9月、日本の高校も9月から2学期が始まるので、その後はもう大慌てでハンガリーに荷物の整理だけしに飛んで、先生や同級生に経緯を説明して大急ぎでお別れをして(パーティーも開いてくれました)、超弾丸で帰国、そうして日本での高校生活を再開したのでした。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

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